過ごしやすい季節になってきました。
早期退職後、3度目の春を迎えました。
最近、遠距離介護にも進展がありました。
歳を重ねることの意味を問い掛けながら、
親の介護を通じて自分の未来も感じます。
両親の幸せと自分の幸せを両立させる、
そんな生活や人生があると信じています。
先日、父親からSOSの電話がありました。
「すぐに来てくれないか?」
「お母さんを抱えることが厳しい・・・」
母親も父親の後ろで必死に訴えるので、
すぐに準備をして実家に車を走らせました。
実家に着いて話を聞いたところ、
数日前に父親が上手く移乗させられずに、
母親の脚の状態が悪化してしまったらしい。
父親も腰痛が悪化し、もう限界だったのだ。
緊急で、姉が訪問介護を依頼したのだが、
サービス開始までには数日掛かるようだ。
その数日を過ごすことが出来なかったのだ。
両親の心身の状態は毎日変化する・・・
どうしてそうなるのか解らないこともある。
昨日と今日で別人のようになったりもする。
薬一つ飲み忘れると、ダメな時もある。
逆に薬を飲むと体調が悪くなることもある。
絶妙な心身のバランスで命が保たれている。
高齢の両親の心を推し量ると・・・
命は、肉体の中で絶えず揺れ動きながら、
最期の時まで精神に葛藤をもたらしていく。
死んだら、この苦しみから解放されるのか。
この苦しみでさえ人生の本質の一部なのか。
人生に意味はあるのか、全て無意味なのか。
いろんな思いを抱いているだろうが、
自分で見つけた答えしか、意味を持たない。
親の心に寄り添えるのか、疑問は消えない。
両親が頑なに拒否してきたのが訪問介護。
社会全体で介護を支える仕組みだと感じる。
両親は、必要に迫られて受入れてくれた。
その後、訪問介護の様子を見ながら思った。
母は、笑いながら会話を楽しんでいる。
ヘルパーさんも大声で話しながら介助する。
あっという間に、排泄介助は終ってしまう。
父は、手持ち無沙汰で落ち着きがなかった。
排泄介助を終えた母の感想は、
「おしゃべりが楽しかったねー」
「まだまだ話し足りないなぁー」
「ヘルパーさんは何人いるの?」
「次はいつ来てくれるのかな?」等々。
母親には生活の変化も必要だったようで、
新しい話し相手が出来たと喜んでいます。
父親もびっくりしつつも安心しています。
話し好きの人に、案外必要なのは、
自慢話を聞いてくれる人だったりします。
ただ、すごいね!と笑顔で聞いてくれる人。
頑なに拒否してきた訪問介護サービス、
こうなるとは、想像できませんでした(笑)
本日もお読み頂きありがとうございます。