思い通りに生きるために、解っているけど出来ないことをやっていく

人間、歳を重ねるにつれて、

自分の行動パターンが決まってくる。

さらに、不自由なサラリーマンであれば、

自分の行動パターンも不自由になる。

             

今やるか、後でやるか?

を言い換えれば、

その時まで待つか、今からそこへ行くか?

ということになろう。

主体的に生きているかどうか?

を言い換えれば、

思い通りにするか、言われた通りにするか?

ということになろう。

               

サラリーマンだった時は、

拘束時間も長く、持ち帰り仕事もあるし、

ストレスから解放されることのない毎日に、

自らそこへ行くという選択は出来なかった。

自分の身体を安全な場所に置き、

頭で想像するだけで、体験すること無く、

ネット検索だけで経験したつもりになった。

経験知も浅く、行動力も乏しくなった。

                    

言われたことを完璧にやり遂げるのが得意な

サラリーマンになればなるほど、自分の思い

通りに生きる能力を退化させていたと言える

のかもしれない。

早期退職した今の僕には、

言われたことを遂行するサラリーマン以外の

能力は、ほとんど身についていない。

思い通りに生きるのも難しいのが、現実だ。

                     

人生では、選択肢があることが大切だが、

選択できる環境の中で、選択できる自由が

あることも、人生の大切な構成要素になる。

そして、選択し、決断するという能力は、

使わなければ、鈍るのではないだろうか。

サラリーマン時代を振り返れば、

今の自分になったのも十分納得できるのだ。

            

自由に生きる能力がないので、

思い通りに生きることにも難しさが伴う。

それでも、

残り時間を考えれば、もう待てないし、

言われた通りにするなんて、もう有り得ない。

今すぐそこに行って、自分でやる!

これしかないとわかっているけど、

ブレーキを掛ける自分もまだいるのだ。

               

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